「スキットルはないけれどこれはどうだ」
 バンブーの露天商のムッシュがガラスケースのなかを探して取り出したのが古いツーリストカップだった。
 直径5㎝ほどの皮の円形のケース。蓋をあけると3段のアルミのカップが入っている。もちあげるとカシャカシャという金属のすれる音とともに小さなカップになる。使い終わると皮のケースにいれて、掌で上から押すと折りたたまれてケースにおさまる。旅の道具にこんなものがあるなんて知らなかった。血が騒いで、もちろん購入した。
 むかしの人はなんて粋な小道具を使っていたのだろう。列車にゆられながらウイスキーをグビッと呑るのは極上の時間だけれど、その器がプラスティックでは味気ない。しかしこのカップを手にいれてからは、ときにバッグに、ときにジャケットのポケットにいれて列車に乗るようになった。
 ウイスキーを生で呑るにはしんどいときがある。すこし加水することでウイスキーは開き、香りも立ち上がって鼻孔をくすぐる。口に運ぶと余韻だけを残して咽喉の奥に消えていく。そんなときにこのカップは重宝する。機能も佇まいも申し分ないからだ。
 列車の窓辺に置いたカップを眺めていると、その機能以外の愉しみもみつかった。想像が翼を広げるのだ。古いカップである。皮のケースには擦れたり、傷ついたりしている。このカップはどんな人と、どんな旅を過ごしてきたのだろうか?パリの蚤の市でみつけたから恐らくはむかしの欧州を旅してきたのだろう。寒い地方だろうか。海辺を走る列車だろうか。
 車窓をながれる風景を眺めながらそんなことに想いを馳せていると、時間はあっという間にたち、ウイスキーもなくなる。場所から場所の移動のはずが、時間の旅になっていく。
 この愉しみを知ってからは列車の旅が好きになった。

関連記事

  1. 2023.5.4

    室蘭の焼き鳥

      焼き鳥といえば、肉は鶏という思い込みは旅の途中で消えた。 職人をめぐる取材の旅で…

    室蘭の焼き鳥
  2. 2024.3.30

    糸井重里と仲畑貴志のコピー展

      友人のコピーライターで、鎌倉で喫茶ギャラリー「アピスとドライブ」を営んでいる後藤…

    糸井重里と仲畑貴志のコピー展
  3. 2024.5.16

    高村山荘

     空港のすぐそばにあると知ったのは最近のことだった。降り立つ機会があれば、延泊し…

    高村山荘
  4. 2023.7.22

    島のLife Line。

     多度津の港から小さな船で1時間。その島には何もない。コンビニもなければ、自…

    島のLife Line。
  5. 2021.12.26

    「ラジオ・シャングリラ」公開収録にゲスト出演いたします。

    こちらも情報解禁となりました。 語り手、立川直樹 書き手、西林初秋…

    「ラジオ・シャングリラ」公開収録にゲスト出演いたします。
  6. 2020.12.12

    旅の相棒

    日曜日の午後、夕方のハイボールタイムまで、旅の相棒のお手入れ。J. M. WESTO…

    旅の相棒
  7. 2024.5.19

    能舞台

     黒澤明監督は、自分にとって、芸術のなかで、見せる芸術のなかで、最も大切なのは能だと公言…

    能舞台
  8. 2021.4.21

    命のバトンを、希望のバトンへ。

    昨年の11月に、アドベンチャーワールドでパンダの赤ちゃんが生まれました。…

    命のバトンを、希望のバトンへ。
  9. 2020.2.22

    3千円1本勝負、200突破記念。

    FM COCOLOのラジオプログラム「門上西林物見遊山」では、毎月最終土曜日…

    3千円1本勝負、200突破記念。