万年筆を使うようになったのは30代前半からだ。
昭和の作家は原稿用紙のマス目に彫刻するように字を埋めていた。自筆原稿などをみるとたいていが万年筆だ。池波正太郎は「男の武器」といい、開高健は「手の指の一本になってしまっている」と書いた。まだ頬に蒼い影が残る文学青年には憧れの文具、それが万年筆だった。
コピーライターの修業をして、独立をし、よちよちした足取りで歩きだしたとき、自分もあの作家のような文章が書けますようにと願い、書きますと誓う意味で万年筆を買った。
はじめて買ったのはモンブラン。松本清張も開高健も水上強も加賀乙彦も使っていた。買うならマイスターシュテュックの149、ペン先は極太しかないと思い込んでいた。それからはモンブラン一筋。手紙やハガキはマイスターシュテュック149の極太、手帳や打ち合わせのメモには中太と使いわけた。後日、日本の万年筆の実力を知るところとなり、イメージだけで選んでいたことへの後悔を覚えることになるけれど、それまでのモンブランは実によく働き、鼓舞してくれた。
あれは香港がイギリスから返還される年だった。日本から飛鳥という客船で香港へ向かい、返還の日を現地で体験するというプロモーションの仕事をして、その旅に同行させてもらえることになった。
香港について街を散策していると白と黒のお馴染みのマークを発見した。店内で色々なモンブランを眺めている間に、お土産にいいかもしれないと思った。
香港で買った万年筆。日本やヨーロッパで買ったものより技が感じられると思ったのだ。お世話になっている友人のお土産に2本買った。
しかし振り返ると若気の至りと気恥ずかしくなる。いま選ぶなら香港の万年筆だ。日本の万年筆がそうであるように、書き味に漢字の国の職人技が息づいている気がする。